正座

私たち日本人は、正座を行います。そして、正座を長時間行っていると足がしびれてきます。日本人には、なじみ深く生活や礼儀作法として広く行われる正座です。

しかし、正座を行うことにより「足がしびれるメカニズム」は、一体どのようになっているのでしょうか?今回は、正座の歴史と正座を長時間行うことで「足がしびれるメカニズム」について解説します。

正座の歴史

日本人の礼儀作法に、「正座」があります。「正座」は、もともと神道の神や仏教での仏像、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)にひれ伏す場合に行われる姿勢でした。

以前の日常で行われる座法は、武士や女性、茶人などでも胡座(あぐら)や立て膝で座ることが普通でした。なぜなら、平安装束に見られる十二単や神主の袍(ほう、うえのきぬ)などは、下半身の装束が大きく作られています。

これは、正座には不向きであり、胡座を組むことを前提に作られたものです。江戸時代初期に、「正座」が広がりました。この理由の一つに、江戸幕府が小笠原流礼法を採用したことです。

さらに、参勤交代の制定により、全国の大名が将軍に向かうときに正座を行うことが決められたのです。それにより、全国へと広まったことが「正座が広まる要因」として挙げられます。

ただし、座り方そのものは、古代遺跡や奈良時代の仏像にも「正座」と同じ座り方があることから、江戸時代以前にも正座していたとも考えられます。

「正座」を行う理由はさまざまです。例えば、前述したように、正座は征夷大将軍や位の高い人に拝謁(はいえつ)する場合の礼儀であったり、刃傷沙汰(にんじょうざた)を防ぐ目的であったりしました。

拝謁とは、目上や位の高い人にお目にかかることです。刃傷沙汰とは、刃物で人を傷つけるようなことです。

つまり、将軍や位の高い人への謀反(むほん、反逆すること)を防ぎ、正座によるしびれなどにたいする武士の忍耐を育てる意味があると考えられます。

さらに、足がしびれる正座の姿勢は、相手に対して「敵意がない」ことを示すこととも考えられています。

また、明治維新以降に、国民の平等を実現する過程で、「礼法」を統一する必要が生じたため、国民に共通するかしこまった座り方を「正座」と規定したと考えられています。

正座で足がしびれるメカニズム

正座を長時間行ったときに、「ビリビリ」「ジンジン」「ピリピリ」などの感覚がきます。この感覚は、神経のC線維の機能抑制により生じます。

例えば、触覚が消失すると「ジンジン」「ビリビリ」する感覚を生じます。触覚が残存していると「ピリピリ」などの症状が生じます。もし、C線維が完全に機能制止すれば、何も感じない「無痛状態」になります。

長時間正座を行った状態の流れですが、最初に足がしびれて「ビリビリ」「ジンジン」「ピリピリ」などの感覚がきます。その後、足の感覚がなくなり、足が麻痺している感覚が生じます。

正座を止めて、足を伸ばしたりさすったりしていると、また「ビリビリ」「ジンジン」「ピリピリ」して最終的には元の状態に戻ります。

この正座のしびれる感覚を説明すると、まず、正座により足全体の血行障害が起こります。太い神経は、酸素不足に弱いため「正座」により血液循環が悪くなると、うまく情報を脊髄に伝えられなくなります。

このとき、最初に血行障害により有髄神経で太いAβ線維が影響を受けます。これにより、触覚の感覚が減少します。その後、脊髄での触覚繊維による痛覚繊維のAδ繊維とC線維への抑制が消失します。

この段階では、痛覚を伝達する無髄繊維のC線維は、まだ傷害されていません。このとき、痛覚繊維を流れる電気信号は、脊髄で何の抑制も受けないため、中枢神経へ上行するので、ゆっくりとした感覚の「ビリビリ」「ジンジン」「ピリピリ」感を生じます。

さらに正座を続けていると、C線維の機能が抑制されて活動が制止されるため「無感覚状態」になります。その後、繊維は酸素不足で麻痺状態になり、運動神経も影響を受けます。

結果として、正座を止めた後に、すぐに立ち上がろうとしても足の感覚がなく力も入らないために転んでしまいます。

新潟大学医学部の下地恒毅名誉教授は、正座後に感じる感覚やしびれについて、「虚血状態から回復するときに感じる痛みについては、仕組みはまだよく分かっていない」と話されます。

このように正座は、日本人にとって昔から「礼儀や刃傷沙汰を防ぐ目的」などで広く行われてきました。正座を長時間行うとしびれるメカニズムを理解することにより、神経伝達のメカニズムを理解する一つの方法になります。

今後、「しびれ」の研究が進むことにより、将来的に病気などで起こる「しびれ」を解消する手がかりになるのではと思います。いずれにしても、「しびれ」が起きないように睡眠や休息を取るなどして健康的な生活をすることが大切です。